【映画批評 過去記事から】
ライブテープ■2009年/HD 16:9/1時間14分
■制作:Tip Top
監督: 松江哲明
撮影: 近藤龍人
録音: 山本タカアキ
唄・演奏:前野健太
演奏:~DAVID BOWIEたち~
   吉田悠樹(二胡)
   大久保日向(ベース)
   POP鈴木(ドラムス)
   あだち麗三郎(サックス)
参拝出演:長澤つぐみ


 2009年の元日の東京・吉祥寺。武蔵野八幡宮から井の
頭公園まで、ギターの弾き語りを続けながら歩くシンガーソ
ングライター・前野健太を撮り続けた74分間ワンカット・
ワンシーンのライブ映画。「ドキュメンタリ映画」という以
上に、ドキュメンタリの枠の中で、その要素と手法を巧みに
使って撮られた、優れた「劇映画」であり、ギターと歌とカ
メラワークでみせる、斬新な「音楽活劇」映画である。
 大胆不敵で挑戦的な映像に、前野健太の歌が響き渡る、圧
巻の74分。

d(>_<  )Good!!(2010.5.09 蠍座)
※以下、本編内容に言及する箇所を含みます



【1】
 冒頭、武蔵野八幡宮で参拝する長澤つぐみを捉えた画から
本作は始まる。境内の参拝客の列と並行した彼女はやがて、
出口付近に待っていたシンガー・前野健太とすれ違う。その
瞬間、カメラの被写体がするりと入れ替わり、何事もなかっ
たかのように歌と演奏が始り、映画が動き出す…。
 いかにもドキュメント的な「元日の参拝風景」をあえて見
せた上で、そこに堂々と「演出」を持ち込んで、観る側の先
入観や既成概念をあっさりと引っくり返してみせる。その大
胆な導入部にまず先制パンチを喰らうが、映画はなおも挑発
的に進んでいく。

 映画を「演出された映像」であると定義するなら、ドキュ
メンタリもまた、映像を意図的に選び出し、繋ぎ合わせると
いう意味において、通常の「映画」となんら変わるところは
ない。その一方、虚構であるはずの「劇映画」もまた、そこ
に表出している風景や俳優が「現実」の一部である以上、そ
れを撮影する行為は一種のドキュメンタリといえる。映像の
中において、虚構(ドラマ)/現実(ドキュメント)は常に
分ち難く隣接し、重なり合っている。松江哲明監督はこのボ
ーダーライン上を確信的に歩き、事象を拾い集めることで作
品を作っていく。本作で前野健太が唄いながら歩く道は、ま
さにそのボーダーラインの上なのだ。

【2】
 ドキュメンタリのパッケージからどこまではみ出していけ
るか。ドキュメンタリの表現力を信じる監督が、それゆえに
ドキュメンタリの限界に挑んでいく「映画的」な試み。
 前作『あんにょん由美香』がドキュメンタリの「映画的変
質」ならば、本作は確信犯的に仕組まれた「映画への逸脱」
である。(自身を監督としてクレジットに乗せたのもその決
意の表れなのではないかと推察する)

 「事実をありのままに映す」というドキュメンタリの概念
を逆手に取り、あくまでその「ドキュメンタリの枠」内で果
敢に映画的な仕掛けに挑むことで、映画的エモーションを映
像に導入するというワザ。それを可能としたのは、本作の最
大の特徴でもある「74分間ノーカット」という作品スタイ
ルであり、既成の方法論からは逸脱したとしても「ドキュメ
ンタリ」それ自体は決して放棄しない、という監督の明確な
宣言でもある。映像を一カ所も切らないことによって、たと
え画面内で何が起こったとしても、それは「その時間内に現
実に起こったこと=ドキュメント」であるという絶対的な根
拠となりうるからだ。
 シチュエーションそのものは作為的であっても、それを構
成する人物・舞台・時間が、現実に存在するものでありさえ
すれば、そこで起こる事象はドキュメントたりうる(しかも
映像自体はリアルタイムで進行する)というロジック。それ
に合致する要素として本作でそれぞれ選択されたのが「前野
健太/吉祥寺/2009年元日」であることは言うまでもな
いだろう。

【3】
 「前野健太」とは果たして誰なのか。何故「松江哲明」は
彼の唄う姿を撮るのか。そして「彼ら」はいったいこれから
何をどうしようとしているのか。求められるであろうその種
の説明要素をあえてフレーム外に放り投げて(そんなことは
どうでもいいからこの歌を聴けよ、と言わんばかりに)、カ
メラはギターをかき鳴らし歌い続ける前野健太を、ただひた
すら追いかけていく。
 カメラの前を通り過ぎる人や自転車、行き交う車。行く先
々の街角や路地の風景、店先の看板、信号、ピカピカと光る
自販機のランプ。カメラの前に次々と出現する吉祥寺の街と
その空気、それらすべてのものをドキュメンタリの名の下に
取り込み「劇中の要素」に次々と変えていく即興性のマジッ
ク。
 この一見行き当たりばったりのような撮影は、しかし実際
にはルートも日時も綿密に計算されていたはずである。行く
先々で遭遇するミュージシャンとのセッションなど事前の準
備や計画がなければ実現不可能であろうし、「映像を編集し
ない」以上、カメラワークなども含めた演出プランも事前に
熟考されたことは想像に難くない。はたして何処までが計算
されていてどこからが計算外のものだったのか。
 さりげなく通行人の往来をかわし、好奇の視線をやり過ご
していく前野健太とカメラマン(監督)の撮影道中は、映画
的な活劇性に満ちていて、きわめてスリリングである。その
一方、とてもユニークでチャーミングな一面(例えば自販機
前で一休みするシーンのユーモラスさ)も垣間見えるなど、
監督(カメラマン)の「画面構成力」(あえて編集センスと
いってもよいと思う)が映像に明確な緩急のテンポを与え、
ドキュメンタリにありがちな「リアルゆえの退屈さ」を生じ
させない結果となった。さらにその魅力が、ギター1本であ
る前野のパフォーマンスへの、「映像によるバッキングトラ
ック」の役割を担っている点にも留意したいと思う。

【4】
 終盤、歩みを止めてのインタビュー場面。それまで画面外
にいた監督がカメラの前に立ち、直接前野に問いかける。気
負わず訥々と自身の過去を振り返る前野。そして彼の逆質問
によって、監督自身の心情も明らかにされる。それはインタ
ビューというよりは、誰に聞かせるでもない全くプライベー
トなニュアンスでの会話である。唄うことについて。映画を
撮ることについて。それらは聞き逃してしまいそうなほど、
短く端的にしか語られないが、共感し合う二人の姿、ありの
ままの会話を捉えた画面は、どこかハードボイルド映画にお
ける、敵地に乗り込む前のワンシーンのように思える。
 …そしていつのまにか、道は最終地点につながる。

 あらためて考えてみると、この映画、実はここからが「本
編」だったのだ。
 それまでの長い長い(そして楽しい)道程は、前奏、ある
いはバックステージから続く長い通路だったのではないか。
(ひとつ前のインタビュー場面は出番を待つ「舞台袖」の光
景であり、いわばエール交換である。それゆえに監督との会
話シーンもフランクなものになりえたともいえる)
 その道の先に待つ舞台は、夕暮れの野外音楽堂。バンドメ
ンバーの待つステージ、照明はオレンジ色の夕日。前野は舞
台へ登り、監督はフレームから外れ、カメラも舞台を捉える。
 そして、この年最初にして、最高の演奏が始まる。

【5】
 映画冒頭の作為的な導入部から、ラストのギミックなしの
ライブシーンまでを見事に一本につないでみせる映画「ライ
ブテープ」。歌は唄われ、映画は撮られ、そしてそれはこの
先も続いていくだろう。(その証拠に我々は今その一部を享
受している)
 本作は「始まる」ことと「始める」人の姿を直截に記録し
た映画である。それは同時に「生きている」こと、「生きて
いく」姿を描く、ということでもある。
 公園を駆け回る子供、自転車にのって去っていく青年の姿
が、それを象徴するかのように撮られているのが印象深い。
 歩き続けた先に待つものは、人それぞれの「青空」である。
「ドキュメント」な時間は、まだまだ終わらない。
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