【映画批評 過去記事から】
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J・エドガー■2011年/アメリカ/シネスコサイズ/137分
■制作プロダクション:イマジン・エンタテイメント、マルパソ
監督・製作・音楽: クリント・イーストウッド
脚本:ダスティン・ランス・ブラック
撮影:トム・スターン
編集:ジョエル・コックス / ゲイリー・ローチ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ
   アーミー・ハマー、ジョシュ・ルーカス
   ジュディ・デンチ 他



d(>_<  )Good!!(2012/1/20 試写会にて)

「アメリカ映画」の全体像をそのフィルモグラフィに再
生しながら、同時に「アメリカ」の歴史そのものを再訪
する映画監督、クリント・イーストウッド。ジャズとい
うアメリカ文化を描いた伝記映画『バード』、第二次大
戦時のアメリカを描いた『父親たちの星条旗』に続いて、
いよいよ近代アメリカの歴史に挑む本作、『J・エドガ
ー』は、アメリカ連邦捜査局FBIを創設し、その初代
長官として歴代8人の大統領に仕えたジョン・エドガー
・フーヴァー(1895/1/1~1972/5/2)の孤高の半
生を描く。

 映画は、自身の回顧録の執筆者に向けて、それまでの
経歴と過去を語る「現代(劇中リアルタイム)のフーヴ
ァー」と、その回想の中で活躍する若かりし「過去のフ
ーヴァー」のシーンが交互に展開していく。 
 それまでになかった、指紋や犯罪者データの体系化や
科学捜査の導入、州を跨いで広域捜査を行う権限の獲得
など、一代で組織を拡大強化して来たフーヴァーの革新
性とその辣腕ぶりを、ある意味でヒロイックに描写する
一方、新聞・映画などあらゆるメディアでイメージ戦略
を仕掛け、正義と法の遵守の名のもとに盗聴や恫喝まが
いの強引な遣り口で、時の政治家や大統領を上回る程の
強大な権力を行使するダーティな一面もみせる。

 それらが表裏一体となって描かれるフーヴァー像だが、
そこには彼をいたずらに糾弾し断罪する様な意図もなけ
れば、やみくもに賞賛する姿勢もない。何が「正義」で
何が「悪」なのか、何が「真実」で何が「虚偽」なのか。
 善悪や真偽の判然としない作劇スタイルは、イースト
ウッド作品全てに通底するコンセプトであるが、もちろ
ん本作でもそれは一貫している。あくまでアメリカとい
う国に生きた「ジョン・J・フーヴァー」という一人の
男が、その崇高な理想のためにリアルな現実の中を突き
進む中で、次第に傷付き、疲弊していく姿が淡々と描か
れていくだけである。
 女性コンプレックスに近い母親との関係や、片腕とな
って働くクライド・トルソンとの同性愛疑惑など、憶測
も多い私生活にも踏み込んでいるが、節度を持って実に
さり気なくドラマの中に組み込んで描かれ、単なるスキ
ャンダラスなものに堕していないのはさすがである。

 過去と現在の時空間を移動しながら、20代の青年期
から晩年までのフーヴァーを演じ切るディカプリオの気
負わない演技が見事で、巧みな特殊メイクもさることな
がら、ごく自然に年令相応の身のこなしや仕草をみせて
いて、「ディカプリオ」という生身の存在を、劇中ほと
んど感じさせない。一個人のエドガーの人間臭さ=弱さ
と冷淡なまでの野心家=強さの相反するふたつの顔を、
純粋な役の存在感としてのみ提示していて、イーストウ
ッド的な、光と影の静穏な世界にも違和感なく溶け込ん
でいる。
 同じ「場所」をフックにして「時空間=現在と過去」
を転換する映像的手法、『トゥルークライム』や『真夜
中のサバナ』でみせたトリッキーな映画表現を駆使した
ミステリ的展開が放り込まれるクライマックス、重厚な
余韻とともにゆっくりとフェードアウトしていくラスト。
イーストウッドならではの抑制的で慎み深い作劇と、一
貫してブレない作家的テーマ性にはあらためて感銘を受
ける。他の何者にも似ていない、その作品の存在感と圧
倒的な説得力、そして沸き上がる充実感。

 「彼」ははたして真摯な「法と正義の人」だったのか、
「権力欲と功名心の人」だったのか。映画は最後までそれ
を観る側にけっして押し付けない。人はそのどちらでもあ
り、どちらにも成りうる。それが人なのだ、という真理。
 真相はともかく、真実は必ずしも一つではない。観方や
立場が違えば、受ける印象はまるで変わってしまうし、そ
もそも一般に「歴史」と呼ばれるものは、多かれ少なかれ
「誰かの主観」によって構成されているものである。戦争
の勝者が歴史を作り、時の権力が歴史を語る。それがすべ
て捏造であるとまでは言わないにしても、そこからこぼれ
落ち、忘れ去られたたくさんの事実、一人一人の個の歴史
の上に「世界の歴史」は存在している。
 図書館の蔵書カードのように、犯罪者の指紋ファイルの
ように、秘密ファイルの中の個人情報のように、膨大な事
実の集積である「歴史」の中に、それでも確実に存在し、
間違いなく「生きていた」ひとりの人間の記録。真実の歴
史とは、その小さな歴史の総和のことである。
 彼等はたまたま「リンドバーグ」であり「ケネディ」で
あり、「トルソン」であり、そしてたまたま彼は「J・エ
ドガー・フーヴァー」だっただけのことなのだ。
 作品テーマの刺激的な予感に勢いこんで観始めた人も、
ラストに静かに差し出される物語=歴史の重みが、実感を
伴って胸に迫ってくるはずである。
 アメリカの歴史を語るイーストウッドの視線はいつも、
フェアで優しい。
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