【映画批評 過去記事から】
マイバックページ■2011/ヴィスタサイズ/141分
■制作:WOWOWFILMS、マッチポイント
監督:山下敦弘
脚本:向井康介 原作:川本三郎
撮影:近藤龍人
照明:藤井勇
編集:佐藤崇
音楽:ミト(fromクラムボン)
   きだしゅんすけ
出演:妻夫木聡、松山ケンイチ
   古舘寛治、忽那汐里
   中村蒼、石橋杏奈
   韓英恵、長塚圭史
   山内圭哉、三浦友和



 70年代初頭。週刊誌記者・沢田は、理想に燃えなが
ら日々全共闘運動の取材を続けていた。ある日、武装決
起を計画しているという梅山と接触した沢田は、どこか
でその言葉を疑いながらも、不思議な親近感を覚える。
 だが二人の関係は次第に取り返しのつかない状況へと
飲み込まれていく。

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけ
だ」   ──フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ


 70年代はいろいろな意味で「最後の10年」だった
ように思える。政治闘争・実力行使による革命志向、科
学万能の輝く未来への希望、そして、映画や音楽など若
者文化……それはとりわけ、80年代以降を青春期と定
める世代にとっては、「何か大事なものが、まだ残って
いた時代」のような気がする。

 誰もが自分の成すべきことを成そうとし、自分が何で
あるべきかを探し求めていた時代。偶然出会った若きジ
ャーナリスト・沢田(妻夫木聡)と活動家・梅山(松山
ケンイチ)。宮沢賢治とCCRの音楽を共通言語として、
一度は融和した二人の関係は、やがて激しく化学反応を
起こし、取り返しがつかないほどに完全に分離する。二
度と交わらない二つの時間と人生。一方は上澄みのよう
に無色透明な存在として、一方は底に沈んで固まった得
体の知れない結晶のように。
「報道」と「闘争」にまつわる倫理と信念の混迷が引き
寄せた大いなる挫折と終わらない「幻想の夏」──

 当時の時代のニュアンスを写し取る独特の映像のニュ
アンス(数年後のラストシーンとの違いに明らか)は、
粒子のやや荒れた鈍い感じの映像の肌理、全体に押さえ
気味の明るさのトーン(夜のシーンの暗闇感)での撮影
によって見事に表現されている。長めのワンショットの
シーンの中に立ちこめる緊張感やエモーショナルなアン
グル、会話する二人のコミュニケーションにおける微妙
な空気感、カメラと被写体との節度を保った距離感の誠
実さによって、ドラマが無意味に過重なものになること
を回避している。
 同様の意味において、余分な雑音のない日常の静寂性
(これも時代の空気感ではないかと思う)という感覚が、
画面にわずかに響くマッチを擦る音やタバコの火の音、
外を走る車や電車の音、衣擦れの音などの効果音に印象
的に感じられ、セリフ・音楽・映像とのアンサンブルも
美しい。

 妻夫木・松山両俳優の、従来のイメージから脱却した
新しい役柄へのアプローチをはじめとして、俳優陣が表
現する圧倒的に「普通」の存在感の有り様も本作の構造
的強さのひとつ。意識しなければ顔を忘れてしまうほど
の「普通」さは、見慣れた俳優を極力排し新鮮かつ個性
的な顔ぶれ(中平武弘、山内圭哉など)のキャスティン
グにより、ある種ドキュメンタリ的側面を強調させる。
 演出的にも「普通であること」という戦術は徹底して
いて、劇中、最もアクの強い存在である三浦友和を至極
あっさりと撮り切る一方、作品のテーマにも絡む存在で
ある忽那汐里演じる倉田眞子は、純粋で無垢なイメージ
ゆえに幻のように主人公の記憶に残る少女として、極め
て魅力的かつ印象的に捉えられている。

 武装決起を主張して、包丁持って暗がりの部屋に立つ
梅山の凄みが、「フェイクの殺人」を演じる柴山(中村
蒼)を経由して「実際の殺人」に移行するように、「虚
構のリアル」は常に「現実のリアル」の前に醜態をさら
し続ける。一方の沢田も、取材の中でカメラのファイン
ダーや記者としての眼というフィルターを介して「現実
のリアル」を見続けるうちに、「虚構」と「現実」の境
目がぼやけていく。まるで「映画を観ている」かのよう
に。

 その世界の中で「虚構」が「現実」の隣に存在し得て
いた70年代、青年たちが信じた「リアリティ」は色褪
せ、やがて「現実」を見失う。二人が見ていた筈の「リ
アル」は果たしてどこまでが現実でどこからが虚構だっ
たのか。何が本物で、何が嘘だったのか。
 映画は「ある殺人事件」を巡って、登場する人々すべ
てにそれを問い続けていく。一瞬の運命の交錯が起こし
た波紋が、理想として描いていた大きな「世界」ではな
く、自らの個的な「世界」を大きく変化させていくこと
になってしまう皮肉。そしてそれゆえに痛切で苦い、青
春の記憶。
 雑誌の表紙モデルと現実の高校生としての時間を彷徨
っていた眞子がやがて幻のように消えて行った頃、時代
もゆっくりと移り変わっていく。

 あるひとつの強烈な時代の記憶が描かれるとき、そこ
ではよくも悪くも「世代」というキーワードからは逃れ
られない。本作でも同世代・次世代・新世代、それぞれ
の世代で受け取り方、得られる共感も教訓も全く違うか
もしれない。しかしそれでも最後に傷跡のように残る共
通の分母は、「私」や「あなた」は何者であるのか?と
いう永遠の問いである。
 一人の若者が、自他ともにその存在を定義付け、大な
り小なり名を成して行くのが「物語」の重要な形式のひ
とつだとすれば、「回想録」の形を借り、逆回転でその
ことを問い正す本作は、それぞれに信念を持ちながらも、
「ナイーブで甘過ぎた若者」と「倫理感に欠けた若者」
の挫折と破滅を描く、まさに「リアル」な青春物語であ
る。
               (2011/6/3 天動説)


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 邦画が中心の映画批評人。
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