【映画批評 過去記事から】
君に届け■2010年/アメリカンビスタ/124分
■制作:日活撮影所=ジャンゴフィルム
監督:熊澤尚人
原作:椎名軽穂
脚本:根津理香、熊澤尚人(脚本協力:まなべゆきこ)
撮影:藤井昌之
照明:舘野秀樹
美術:橋本優
編集:高橋信之
音楽:安川午朗
出演:多部未華子、三浦春馬
   蓮佛美沙子、夏菜
   桐谷美玲、青山ハル
   金井勇太、ARATA
   勝村政信、富田靖子(特別出演)

 見た目の地味で暗めな印象から「貞子」と呼ばれる黒
沼爽子は、引っ込み思案でクラスからも浮いた存在。し
かしクラスの中心的存在の風早翔太は、爽子の健気で純
粋な性格に気付き、ひそかに好意を抱くようになる。
 尊敬する風早の言葉を励みに、徐々に前向きに変わっ
ていく爽子は、次第に自分の中にある、本当の気持に気
付いていく。

d(>_<  )Good!!(2011.01.03 ディノスシネマ)

【純度100%の恋と友情物語】
 人の生き死にや時代の閉塞感ばかりが声高に語られ過
ぎると、もっと素直に胸の奥底から泣いたり笑ったり、
大いに共感したり憧れたり…というごく普通の「感動」
を享受したいと思ってしまう。映画に限らず「物語」と
いうものは、本来そのためにこそ機能すべき(もちろん
その多様性は認めた上で…)なのではないか。本作『君
に届け』は、まさにそういう「物語」である。

 ちょっとネガティブな性格で周囲から少し浮いている
女の子と、明るくポジティブで人気者の男の子。風に舞
うようにふわふわと掴みどころのない感情の揺れ動きの
中に漂いながら、一喜一憂する青春の日々。現実的には
ほとんどありえないくらい、まさに「絵に描いた」よう
なキャラクターたちが紡ぎ出す物語は、かつての少女漫
画を彷彿とさせるような、ある意味で「時代錯誤」的と
さえ思える。
 しかし「不治の難病」も「過酷な運命」も「悲しい結
末」もない、ひたすら真っ直ぐで純粋な気持ちがを描く
物語には、今のこの「時代」のぐじゃぐじゃした世界を
鮮やかに突き抜けていく、曇りのない透き通った孤高の
輝きがある。

 黒沼爽子は、子供じみたデマのせいで過剰な畏怖の対
象となっているが、実は周囲に気を遣う優しい性格で、
教室や校内をさりげなく掃除したりする「一日一善」を
モットーにしている、真面目で心優しい性格(避けられ
てこそいるが、いじめを受けている訳ではなく、孤立し
ているというより、むしろ極端に「目立たない」という
感じ)の女の子。風早翔太は、誰とでも分け隔てなく接
して信頼も厚く、男女問わず誰からも好かれる明るく爽
かな好青年。クラスの中心的な存在で、爽子も密かに羨
望の眼差しで見つめている。
 怪しげなイメージの影に隠れた爽子の素顔の魅力を知
り、彼女に手を差し伸べる風早と、その言葉に背中を押
されて、不器用ながらも積極的な行動に出るようになっ
ていく爽子。そんな彼女の頑張りが、少しずつ大事な友
人や仲間たちを引き寄せていくことになる。

 爽子を演じる多部未華子は、それまでの自分を打破し
て前向きに成長していこうとする姿を圧倒的なチャーミ
ングさで好演。一方の三浦春馬は、力の抜けた自然体の
演技で、文字通りの爽やかな好漢・風早を嫌みのない説
得力を持って演じ、その存在感を一層際立たたせている。
 この二人が醸し出す澄んだ空気感は、作品のイメージ
を明確に決定づけている。

 また本作は、爽子と風早の恋の成就をドラマの大前提
としながらも、ちづる(蓮佛美沙子)、あやね(夏菜)
と爽子の3人の友情にも大きく物語が割かれている。そ
して実はこのドラマの展開がなかなか良い。
 頼りない爽子を何かとフォローし、バックアップする
二人のキャラクターがそれぞれ明瞭に立っていて、3人
が並ぶシーン(2対1の構図)の画的な凸凹感も面白く、
ちょっとした誤解とすれ違いを乗り越えて、彼女たちの
友情が堅い「絆」に成長していくまでのドラマにはハラ
ハラドキドキさせられる。友情を確かめ合うように3人
がしっかりと抱き合うシーンは、ある意味で本作の山場
のひとつであり、思いがけず胸が熱くなる。


【「観る」というアクション、「眼差し」のドラマ】

 本作で一貫して描かれているのは「観る」というアク
ションである。言うなれば「視線=眼差しのドラマ」で
あり、誰かが誰かを「ちゃんと観ている」ということで
物語はつながっていく。
 もとより人間ドラマである以上、「見る・見られる」
という関係性は必然のものだが、本作ではその行為その
ものに「誰かを想い続ける」という意味が明瞭に付加さ
れていて、「観つめる・観つめられている」という形で
浮き彫りになる彼らの心情は、言葉以上に饒舌に画面か
ら響いてくる。

 爽子に対する「偏見」と「忌避」も、彼女が常に「誰
からもきちんと観られていなかった」という状況を指し
示していて(不在のはずのものが不意に存在した、とい
う自分勝手な思考が、強引に彼女を畏怖の対象に設定し
てしまったのだ)、それはある意味「存在していない」
ことと同義でもあった。風早が爽子をきちんと観て、そ
の「存在」を見つけ出したように、ほんのちょっと「視
線の角度」を変えれば、今まで気が付かなかった物事の
実相や、別の新しい何かがそこに観えてくるはずである。
 「ちゃんとその人を観る」ということ。例えば、クラ
スメイトのちづるとあやねは、それまでただ「ぼんやり
と眺めていた」だけだった爽子に対して、曇りのない眼
差しをしっかり向けることで、そこに「本当の彼女の姿」
を見い出す。
 「観つめる・観つめられる」関係は、ちずると竜(青
山ハル)、爽子を敵視するくるみ(桐谷美玲)、爽子の
両親(勝村政信、富田靖子)、クラスの担任(ARAT
A)など、それぞれ眼差しの中にも一貫して組み込まれ
ている。

【来年も再来年も、今以上に君が好きで】

 映画の冒頭、桜の木の下で偶然出会った爽子と風早。
そよ風の中で、何気なく相手に視線を送る二人。その眼
差しは、まだ一方的な「何となく気になる」というレベ
ルの気持に過ぎない。しかしお互いの言動を、それぞれ
が心に留めて見つめ続けていくうちに次第にその想いは
花開き、桜の花びらのように彼らの間を舞い続ける。
 そして、風早から爽子へ、爽子から風早へと、バトン
がリレーされるように、あるいはドリブルするボールを
パスし合うように、一方通行だった視線は次第にそのニ
ュアンスを変えていく。
 爽子の眼差しは「尊敬」から「思慕」ヘ、風早の眼差
しは「仲間への厚情」から「恋愛感情」へ。だんだんス
ピードアップしていく想いと、それにつれて大きく変化
していく状況、そしてその過程が「物語」となって極め
てナチュラルに(体育祭での爽子の変化に注目)綴られ
ていく。
 クライマックス、パーティ会場ですれ違い、互いの姿
を探し求める二人。風早を探す爽子/爽子を待ち続ける
風早、それぞれの眼差しが揺れる心情を代弁し、二人の
身体性と同化して躍動する。そして一対一で真正面から
「観つめ合う」その瞬間、物語は見事なまでのハッピー
エンドを迎える。

 再び冒頭の「春=桜の木」のショットにつながるラス
ト、以前と変わらず咲いている桜を見上げる二人。その
少しだけ大人びて見える表情を映像は明確に捉える。そ
して二人の眼差しは少しも迷うことなく、真っ直ぐにお
互いを観つめている。

…ところで「観つめる」という行為は言うまでもなく、
映画とそれを観るわたしたちの関係にも重なるものだ。
 しかし、こちらの眼差しはあくまで一方的、永遠にふ
わふわと漂ったままである。映画鑑賞後の清々しい幸福
感に、ちょっとだけ入り交じる「胸キュンな切なさ」の
理由は、実はそんなところにあるのかもしれない。
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